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ウンベルト・マトゥラーナ「知恵の樹」

岩手での三連休、ちょいキモのネットカフェに入ってみました。
実は岩手に到着してからずっと手記をつけていたのだが、
何もリリースを急ぐこともない。ひとまず書評いきます

ウンベルト・マトゥラーナ著「知恵の樹」(筑摩書房)は正直難しいが面白いぞ。
岩手滞在用で買ったのであるがこれは自分で選んだもの。
今まで考えてきたこと(そしてそれ以上の文脈)が、
ここまで(論理的な意味で)美しく言葉になっているとは・・・・
また壮大なメタ認知前の概念破壊を食らわされた気分。

知ることを知ること、が人間の生きる意味、ということになるらしい。
題名から受ける先入観は何の宗教?という感じだが、
アダムとイブの食べたリンゴが成っていた樹のことらしい。

オートポイエーシス(自己創出システム)とは何か
(単なるコピーやレプリケーションとは違うのだ。
そこもちゃんと説明してくれている)から始まり、
オートポイエーシスを串として、
タンパク質→細胞→メタ細胞→神経システム→生体→社会、言語、愛(までも説明しやがった!!!)をだーっと、そしてあくまでも慎重に、理論的にアクセスしている。

茂木さんが脳科学の視点から放り投げた認識についての二極、
表象論と唯我論を持ち上げ、
「その二極の間にあるカミソリの刃のような道を行く」。
巧みに回避して、認識に対する第三の論理を提示している。

「コミュニケーション」を他人とのパイプ、文脈の輸送で比喩する。
脳活動をニューロン発火による情報表現として比喩する。
行動、認識を、主体中心のアクションとして比喩する。
・・ブラーブラー、それら通俗的メタファーを全部、
全部論破してるよ。すげえ。すげえって!!!

去年から考杉でわあわあ騒いでいる荒川修作さんの思想、
建築する身体(今思えば荒っぽい論調であった)に関して
極めて明快にアプローチできる本だと思う。よくまあここまで理詰めで書いたなあ。

結局「私と世界の境界とかいつまでも難しいこと言ってるんじゃないわよ!」
「何なのよ思考の境界線を頭蓋の外にって・・」「・・ったく・・・・好き」と
思ってらっしゃる婦女子の皆さん、マトゥラーナがしっかり説明してくれます。

以前の「アルケミスト」に出てくるキャラクタがまことしやかに語っていた
「私がそう願えば世界はそうなる」という「理屈」もしっかり含まれています。
「私」と環境との「構造的カップリング」
そして「リニイジ」「リカーシブ」という言葉がキーとなるようだ。

正直壮大なストーリー過ぎてまだメタまでいけていません。ので安易な引用は避けたい。
このエントリは手にとるときの参考程度にしていただきたい。一生かけて読む価値あり。
2005年が茂木健一郎、2006年が荒川修作との出会いの年ならば、
2007年はそれらからさらに進んだマトゥラーナとの出会いの年、
と称する可能性はかなり高い。チリ人なのだが。
チリ人はアニータだけじゃないんやな・・。

ウンベルト・マトゥラーナ「知恵の樹」_c0074054_17131218.jpg

by eikonal | 2007-02-10 17:11 | ダイアリ
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